3人目の出産は早い?遅い?備忘録出産レポート

とうとう、3児の母になりました。さかもとです。

3人欲しかったものの、先の見えないコロナ禍が始まり、先送りにしていましたが、時間はどんどん過ぎるので「どうせ旅行もいけないし」と思い切って最後の妊娠に突入。

一向によくならないコロナ禍に、2児を連れての80歳越えのおばあちゃんちに里帰りはハード(主に転園と復園が)と判断し、初めて新潟で旦那に育児休暇をとってもらい出産することにしました。

先に、無事出産したときに放った言葉を書いておきます。

「ああああああああ!やっと終わったぁああああああ」

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一番重かった悪阻と食べたかったもの

出産って、陣痛や分娩が痛いから辛いのは実際あるんですけど、それ以上にしんどいのが「悪阻」なんですよね。

ない人もいるので、本当に超個人差があると思います。

私は毎回私は吐き食べ悪阻なんですが、毎回人生で一番二日酔いをしていた大学時代よりも、トイレにこもっていました。

2人目妊娠中はケトン体も出て「入院する?」と言われ(旦那仕事で息子の送り迎えもあるので無理、点滴で乗り越えました)、今回も頭ガンガン、全部飲んでも吐いてしまう、乾いて、頭痛くて死にそうという脱水症状なりかけになり号泣しておばあちゃんに弱音を吐いていました。

マジでしんどい時に病院に電話するも夜だったので「昼間来てください、それくだいなら大丈夫です」と言われ、「ああ、私には合わない」と転院を決意し、次の日には違う産院に移るくらいメンヘラ度も加速してました。

悪阻期はありがたいことに仕事も多く、正直あんまり記憶がないですが、体調が悪いと弱音を吐くと、できるだけ早く帰ってきてくれたり、朝早くに出社し、帰り時間を早めてくれた旦那には頭が上がりません

そして骨盤あたりが緩んでくるからか、決まった姿勢で長く立つ洗い物がしんどく、悪阻中から現在までほぼ洗い物は旦那に、悪阻のきついときは家事育児を丸投げして私は仕事だけをしていました(できるのがデスクワークのみ)。

あまりに申し訳なかったので、家事一切をお願いするくらいのタイミングで、旦那の小遣いに私の小遣いを2万円譲渡し、家庭内委託(申し訳なかったので私が決めて提案した)という形で出産月の8月まで乗り切りました

3人目の妊娠は、わんぱく5歳児とイヤイヤ期3歳児を抱えながら体調絶不調だったので、旦那が協力的じゃなかったらこの世のすべてを呪い毎日泣いてたんじゃないかなと思うくらいしんどかったです。

私は私が欲しかったから踏み切ったけど、3人目の壁を感じるママ勢の見通しは正しいなと思いました

ちなみに

1人目→一生分のひじきとしらすを食べた
2人目→週2で激辛ラーメン
3人目→バランスのいい定食屋通い

と、妊娠中食べたいもの、食の好みが全部違いました。

逆子戻りからのドキドキの陣痛タイムまで

そして、妊婦姿はフォルムが魔女宅のオソノさんになると定評のある私。妊娠中は毎回15キロ増えます

というか、今回は16キロ増えました。食のコントロールも効かず、毎回元の体重には戻ってたので、3人目の妊婦検診では特に何も言われませんでした。

が、正直毎回戻すのも大変で、今回でそれが終わるのも超嬉しいです。

あと、3人とも戻ったけど後期に逆子になってました。

今回は先生に

「あなたお腹が分厚いから切りたくないので、何とか治してね」

とプレッシャーをかけられ、逆子体操とかを教わりましたが、しんどくて3分くらいしかできず(先生だから殴れないけど旦那だったらボディブローをかます案件なので妊娠中の女性の体形にはコメントを控えてね★)。

個人的には3人目だからどっちでもよくて、むしろ帝王切開だと日時が決まって旦那育休とりやすいよなと思ってましたが、結果、運よく治りました。

治ったら治ったで、陣痛までのドキドキタイムを過ごすことになり、日々そわそわしていました。

結果的には、

1人目→予定日約一週間前駆陣痛から陣痛になり出産
2人目→前駆陣痛が何度もあり予定日3日後に出産
3人目→前駆陣痛数回後、予定日より4日早く出産

で、3人目は予定日より少し早く生まれました。

陣痛タクシーも登録していましたが、旦那が休みの日曜日に陣痛が来てくれたので使わずすんでよかった。めっちゃ空気読む子で助かりました。

3人目分娩レポート

土曜夜から続く前駆陣痛が止まず、病院に状況電話を入れ、どうするか迷っている日曜の朝。

それは、同時に絶賛カブトムシ期の息子のために前日に仕掛けたカブトムシの罠を回収に行く日曜の朝でした。

そこは経産婦。

まだしばらくは大丈夫そうだからと、罠の回収に出かけてもらい、

「朝マックしてきていいよ」

と無事罠を回収後2児の食事まで済ませてきてもらい、その間に入院準備グッズの最終点検を行いました。

旦那帰宅後、陣痛っぽい痛みになってきたので、病院に電話を入れ、入院決定。

「病院行く前にローソンよって」

と、メガカフェラテを片手に11時に病院に乗り込み、分娩室で5分ごとの陣痛に耐え、ananを読みふけって、丁度やっていた太鼓芸能集団鼓童のアースセレブレーションを17時から鑑賞していました。

経験があるし、ある程度の陣痛は痛いけど、仕方ないので耐えるしかないんですよね。

で、マジで洒落にならんくらい痛くなってきたのが18時ごろ。ライブを見ていたiPadを閉じ、助産師さんに「ちょっとマジで痛いです」と泣き言を言い、部屋に待機してもらいました。

出産は19時10分くらいだったんですが、最後の1時間は、

「あーあーあーあーあー」

と叫ばないと痛みがごまかせず、手負いの獣のようにうなっていました

子宮口の開きが遅く、陣痛の度に助産師さんが産道に指を入れて広げてくれることで痛みがマシになっていました(なんか意味わかんないよね)。

子宮口が開ききってからは、助産師さんが急いで先生を呼びに行く中、数回のいきみで産まれたんですが、もう、いきみ痛すぎて思い出しただけで泣きたいレベル。

「無理無理無理無理」

と、めちゃくちゃ大声で絶叫する私を助産師さんが「力を抜かないとあかちゃん降りてこれないよ」と励ましてくれて、もう、「赤ちゃんががんばってるから私も頑張らないと」と思いながらくじけるを繰り返していました。

この痛みを和らげる方法は、呼吸法のみというわけのわからない辛さの中、鼻から思い切り息を吸い込み、できるだけ長く口から息を出していくという動作にのみ集中

「もう人間やめたい」と思うくらいの極限の痛みの中、なんとか少し力みを逃したら頭が出てきて、次のいきみで体も出てきてくれました。

即泣き声が聞こえなかったので心配しましたが、しばらくすると鳴き声も聞こえ、

「へその緒首に2重に巻いてたので、出産のすすみ遅かったんですね」

と言われ、無事生まれてきたことに感謝しました。

赤ちゃんを抱っこしてめでたしめでたし……。

ではなく、ここから麻酔ありですが裂けた股を縫い(結構麻酔効いてなくて痛かった)、個室に移り、スマホの画面に映った自分を見てびっくり。

多分がむしゃらな呼吸のため、鼻の穴が普段の2倍くらいの大きさになっていました(次の日戻ってた)。がそんなこともどうでもよくなるくらいあちこちが痛く、悪露も出続けていました。

産後の赤ちゃんとの「生まれてきてありがとうショット」をSNSにあげられる妊婦には3回やってもなれませんでした(すっぴん産後できれいなママさんたち単純にすげえ)

が、本当に3人産めて、お互い生きていて、もう出産しないでいいと思うと精神的な解放感がすごかったです。

協力してくれる人がいなかったら私は3人無理だった

結局旦那は2回の里帰り出産、今回のコロナ禍の立ち合いNGで出産には立ち会っていませんでしたが、それでも家事育児を仕事をしながら当事者意識を持って一切を担ってくれています

多分、そんなタイプじゃなかったら、3人目をあきらめていたし、妊娠してもしんどすぎて憎しみが先行していたと思います。

それくらい、わけがわからないくらい妊娠出産(そのあとの育児も)辛いです

感謝しかないですが、それでも出産が変われるなら、妊娠も出産も2回旦那にお願いしたと思うくらい遠慮したい体験です。

里帰りできない中、今回は旦那が育児休暇を取ってくれて、家事育児一切を変わってくれているので、新生児育児も現在辛くないです。

ちなみに、授乳は私担当ですが、旦那は赤ちゃんのオムツを夜中でも起きて替えてくれ、沐浴もすべてしてくれています。

おかげで、最後の新生児育児も心に余裕がありながらできているので、いろいろ落ち着いてきたら旦那の好きなちょっといいステーキを食べに出かけたいなと思っています。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、一児の母。 転勤族の妻で今は佐渡島のターン。
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