クソダサいマタニティ&授乳服は選ばなくていい!妊娠中こそ好きな服を選んでノンストレスで過ごそう

初めての妊娠は女性にとっても想定外のことだらけです。

もちろん、妊娠がわかって嬉しい気持ちや、周りが喜んでくれる様子を見ていると「母親になるんだ」という幸せな実感が湧いてくるでしょう。

しかし、個人差や赤ちゃんの個体差はありますが、妊娠を機に見えないホルモンに振り回され、自分が自分じゃない感覚に悩む人が多くいるのです。

今まで保ってきた体型、生活リズムや体調、食事の好み、情緒すらも思い通りにならなくなります。

そんなわけで、妊娠や出産はハッピーなだけではなく、今まで自分の築いてきた「女」という大事なアイデンティティが崩壊していく時期でもあるのです。

今回は、本位じゃないのにお金のかかるマタニティウエアを母体にストレスをかけない選ぶための考え方を経験を交えて紹介します。

目次

マタニティウエアは好きなものを探そう

妊娠がわかってすぐにマタニティ雑誌を買う人も多いでしょう。

付録には「みてみて!」といわんばかりのマタニティグッズ、マタニティウェア、内祝いと妊娠ビジネスのPR商品が

「ママになるならこういうものが必要なのよ!」

と言わんばかりに並んでいます。

そしてそれらがまた、絶望するくらいに、ダサいのです……。

特にマタニティパンツの見た目は衝撃的です(後日購入することになるのだけれど……)。

妊娠が初めてのプレママには情報がなく、ベビー用品や、マタニティ雑誌で紹介されているものをとりあえず選びがちです。

でもちょっと待ってください。

妊娠期間は、10ヶ月、産後は

私はマタニティウェアがたくさん載った付録をそっと本棚の奥にしまった。

が、マタニティウェアは思いもしないところからやってきた。

差し入れである。

孫フィーバーは、お腹の中にいる時からもう始まるようだ。

頼んでもいない微妙なサイズ感の「なぜそんなデザインにした?」みたいな差し入れのマタニティウェアを着ると、私の中のかすかな「女」のアイデンティティが死んでいくのを感じた。

むくみと大きくなるお腹への絶望

だっさいマタニティウェアを着て「妊婦さん」っぽくなった私を襲うのはだんだんと大きくなるお腹のふくらみだった。

制服が、キツイ。

「ちょっとデブった?」から「もしかして妊婦?」までの期間は早かった。

ワンピースタイプの仕事着に変えた頃、私の職場でのあだ名は「オソノさん」となった。

引き締めタイツやメディキュットもお役御免となり、「締め付けはストレスのもと」という妊婦の常識を受け入れた私は、ゆるゆるでクソダサいマタニティウェアや下着を覚悟をきめて買いあさることとなる。

ホルモンの影響で変わる身体の変化

ちょっとふっくらしてきたかと思いきや、悪阻でやつれたり、かと思いきや悪阻が落ち着くころにはまたふっくらしてきたり……妊娠中の身体は制御不能の暴走をはじめる。

今まで食べなかったようなものをいきなり買ってきて、爆食いし、結果激太りして先生に怒られることもあった。

友人妊婦は足がむくみすぎて「ゾウ足さん」というあだ名がついた。

妊娠中の身体の変化はみえるところばかりではない。

見えないところでは、頻尿、便秘、痔、不眠、足や腰の痛み、ほてりなど今まで体験したことのないマイナートラブルが頻発し、それらの症状と付き合っていくこととなる。

経産婦になったらこれに「尿漏れ」という屈辱的なオプションまでついてきた。

キラキラ妊婦なんてどこにもいなかった。

母になるという私は、新しくやってきた命との共存のために大きな変化を強いられることになっていくのだ。

さようなら、大好きなヒールたち

仕事で履いていたお気に入りのプールサイドのパンプスが転ぶから危ないと言われ、安い靴の量販店で全然好みではないローファーを買った。

マタニティウェアもそうだったが、好きでもないものを妊娠したからと買いに走り、お金を出すストレスは半端なかった。

お気に入りのユナイテッドヌードのパンプスやサンダルもすべて靴箱の奥に封印となった。

私がスニーカー女子ならこんな気持ちになることはなかったのかもしれない。

後日談になるのだが、産後も子どもを抱っこする機会が多いので、お気に入りのヒールにも、年に数回磨くとき以外触れることはなくなった。

女が終わっていくと思ったマタニティライフ

お腹が少し出てきただけでも恋人に苦言を言われるのが女だ。

それが妊婦になると、信じられないくらい膨らんでもう別のものになっていく。

「女」から「母」へ。

妊娠はよいことだし、楽しみではあったが、その新しいステージに上るために今まで一生懸命積み上げてきた女という人格をどんどん手放していくような気がした。

妊娠に伴う産休、育休での収入減、欲しくもないマタニティアイテムの購入で私の自由は完全に封じ込められた。

いざ産んでみたら…

いざ産んでみたら、キラキラママになれるのか……。

やはり、そうではなかった。

セクシーの象徴だった胸は、乳袋と化し、膨らんだりしぼんだり、硬くなったり、痛くなったりして妊娠前とは別物になった。

形崩れしないように選んでいたブラは、授乳のしやすさ優先になり、たるたるで乳臭い実用性重視の下着は更に女の自尊心を奪っていくが、そんなことにショックを受けている余裕もなく、1年が過ぎた。

産後キラキラママ友勢から、産後はめくりあげることさえできれば服は普通のものに戻すことができることを教えてもらった。
体重は少しづつ減り、白目をむきそうなクソダサいマタニティウェアからだんだんと自分の服へとシフトしていくことができた。

卒乳から職場復帰で「現役」へのシフト

ターンイングポイントとなったのは卒乳だった。

産前には戻らないが、授乳というミッションを終えた胸、産後徐々に戻ってきている体重と職場復帰により、母から私へまた変化が起きていた。

母として子どもを育み、生かしてきた身体が徐々にもとに戻っていくタイミングだった。

しかし、一度ぶち壊した女という身体はすぐに元通りにはならない。

文字通りわがままボディだった。

くびれは行方不明だし、胸は弾力を失い、あらゆる部分の筋肉は喪失し、代わりに腕には脂肪と筋肉が同居し、たくましさを増している。

体重は戻っても、妊娠前の「女」だった私はもういない。

ギラギラもキラキラもせず、女をゆっくり楽しむ母へ

産前の下着でなく、現在の身体に合った下着を買いそろえると、死んでいた「女」としての自分から新芽が出てきた気分になった。

時間を見つけて美容室に行ったり、ネイルを楽しんだり、化粧をしたりと職場復帰からグイグイと「女」としての現実に戻ってくるよう、社会からも旦那からも求められる(気がした)。

隙間時間を見つけては、好きな服やピアスを買って、「女」の部分を楽しむ余裕もやっと出てきた。

しかし、子どもに汚されていいもの、ひっぱられてのびてもいいもの、危険じゃないアクセサリー、ヒールではないが服に合わせやすいブーツと制限はある。
だが、だんだん自分の好きなものに囲まれる生活に戻って来たのも事実だ。

社会復帰なく、子どもとの日々に忙殺されて、出かけることもなかったら、もしかしたら女としての自分は死んで、もう戻ることがなかったのかもしれない。

一度妊娠や出産、子育てを終えてみると、クソダサいマタニティウェア以外にもオシャレなマタニティウェアがあることに気付いたり、服の形を工夫すればマタニティウェアをわざわざ選ばなくてもいいことにも気づいた(下着やタイツは仕方ないにしろ)。

妊娠し、出産し、母になっても「女」を捨てなくてもいい。

むしろモチベーションをあげてマタニティライフを楽しむためには、好きな服を着て過ごす方が健全なはずだ。

母で、女で、妻で……それらを諦めるばかりではなく、ケースバイケースでかいつまんで楽しむ幅は、むしろ増えたのだ。

そう思うと、母になるのも大きな意味で「女」の幅を広げることになったのかもしれない。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。 転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。 家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。 2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。
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この記事を書いた人

1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。
転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。
家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。
2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。

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