お母さんという世界

世界は、広い。

33年生きてきて、そう思う。

でも、おなじように、自分の手に持てるものは、もうこれくらいだと分かってきた。

3年前、この世に生まれ落ちた息子の世界はこれからどんどん広がっていくだろう。

が、現状、その小さな目から見えている世界はお母さん中心で回っている

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お母さんは万能

小さいころ、お母さんがお母さんをサボるなんて許せなかった。

お母さんが家を回し、私たちに手をやき、ご飯やお菓子を用意する。

寝ていたら起こすし、何かできてなかったら文句を言う。

それが当たり前だと思っていた。

だって、お母さんだから。

「ねえねえ、お母さーん!」

そんな風になんでも常にやって当たり前だと言い切って押し付けてきた「お母さん」の役割が、とうとう私にもまわってきた。

言葉が出てきた3歳児が叫ぶお母さん地獄

3歳を過ぎ、言葉がどんどん出てきた息子の世界は、お母さんで染まる。

こんなにも、こんなにも、お母さんなのか……。

「お母さん、みててー!」

「お母さんみてー!」

「お母さんやってー!」

「お母さん!」

「お母さんこれしてくれたの?」

「お母さんが作ったの?」

一日に2憶五千万回くらい繰り返される「お母さん」。

呼ばれるお母さんは、できるだけお母さんをサボりたいお母さん。

サボれるわけもない。

彼にとっての世界はお母さんだし、お母さんが世界なのだ。

そりゃあ、呼び続ける。

車をつくったのもお母さん、お菓子を作ってくれたのもお母さん、家をつくったのもお母さん、虫をつくったのもお母さん。

お母さんはもはや、魔法使い以外の何ものでもない。

お母さんの世界の向こう側

子どもが増える度に、このお母さん地獄がハーモニーとなって襲ってくると思うと、白目をむきそうになる。

ただ、同じように、こんなにも人に必要とされる時期があるのだろうかとも思う。

多分、ない。

こんなに誰かの世界の中心になれることは、きっと一生で一回なのだ。

この子の世界はどんどん広がっていってしまう。

新しい本を嬉しそうに読むように。

新しいおもちゃで遊べるようになるように。

ひとりでできることが増えるように。

なだれのように、新しい世界が広がり、お母さんなんてそのうち、世界のすみっこにいってしまう。

この「お母さんの世界」も、きっと一瞬だ。

お母さんが子どもを通して見たい世界

10年後、「ねー一緒に〇〇しようよー」と声をかける立場はきっと逆転しているのだろう。

お母さんは、子どもの世界のはじまりなんだと思う。

何を教えられるか、どう感じさせるか、どう寄り添えるか全くわからない。

でも、お母さんは、多分子どもの世界の基礎になる。

私はそのうち、息子や娘のお母さんという友達になりたいし、お母さんという仲間になりたいし、お母さんという他人になりたい。

色んなお母さんの側面があるのを知って欲しい。

期待も、諦めも、そして一緒に見えるほんとうにひろい世界のことも共有したい。

「お母さん」という世界は開かれた。

お母さんの向こうに、息子や娘はどんな世界を見ていくのだろう。

そこに寄り添って、私もまた世界を違う角度から見てみたいと思っている。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、一児の母。 転勤族の妻で今は佐渡島のターン。
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