2020年のコロナと重ねて読める「ペスト」カミュ

月に一冊、同じ本を読んでオトコとオンナでどう読み方が違うかを楽しむ書評コラボ。

本好き同士、毎月順番に一冊本を決めて一緒に読んで感想をシェアしているつぶあんさん(つぶログ書店)とのコラボです。

前回はつぶあんさんのチョイスで、「某」を読みあいました。

※私の感想はネタバレありです。

【オンナノ本ノヨミカタ】

人間とは体の器、何を入れるかで変わる「某」川上弘美

【オトコノ本ノヨミカタ】

【コラボ書評】”誰でもない者”たちの物語:川上弘美『某』

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コロナと重なる追憶体験

<あらすじ>

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

感想:★★★★

序盤、2020年にこんなにリアルに感じられる本ある?と思いながら引きこまれたけど、それにしても翻訳本は、読みにくいなぁ。

序盤から中盤までで何度寝落ちしてしまったことか…。

しかしそれでも正直、コロナ禍を体験している今読んでよかった。

「なんにも変わらないだろう」とあきらめにも似た平和な毎日への信頼が、一気に崩れ去っていく様子がコロナの体験とすごく似ていて、ドキドキして読んでしまった。

ペストの場合、まずネズミの死骸。

コロナの場合、海外の報道から「何か起こっているみたいだけど…」というあの他人事のような、あの感じ。

空の都市封鎖や、閉鎖。

わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことばかりを考えていたわけで、別のいいかたをすれば、彼らは人間中心主義者であった。つまり、天災などというものを信じなかったのである。天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去って行くことになり、それも人間中心主義者たちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。わが市民たちも人並以上に不心得だったわけではなく、謙譲な心構えを忘れていたというだけのことであって、自分たちにとって、すべてはまだ可能であると考えていたわけであるが、それはつまり天災は起りえないと見なすことであった。彼らは取り引きを行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見をいだいたりしていた。ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである。

P56

突然隣に死の風が吹くようになり、当たり前に会えていた人と当たり前に会えなくなる感じも追憶体験みたいなかんじでぞくぞくしてしまった。

市門の閉鎖の最も顕著な結果の一つは、事実、そんなつもりのまったくなかった人々が突如別離の状態に置かれたことであった。母親と子供たち、夫婦、恋人同士など数日前に、ほんの一時的な別れをし合うつもりでいた人々、市の駅のホームで二言三言注意をかわしながら抱き合い、数日、あるいは数週間後に再会できるものと確信し、人間的な愚かしい信頼感にひたりきって、この別離のため、ふだんの仕事から心をそらすことさえ、ほとんどなかった人々が、一挙にして救うすべもなく引き離され、相見ることも、また文通することもできなくなったのである。というのが、閉鎖は県知事布告の発表される数時間前に行われ、そして当然のことながら、個々の特例を考慮することは不可能であった。この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町の市民に、あたかも個人的感情などもたぬ者のようにふるまうことを余儀なくさせた、といっていい。布告が実施された日の最初の数時間というもの、県庁は陳情者の群衆に攻めたてられ、彼らは電話口あるいは係員の前で、どれもこれも切実な、そして同時に、どれもこれも検討不可能な、それぞれの事情を申したてるのであった。実際のところ、われわれが、自分たちはまったく妥協の余地のない状態のなかにあり、「折れ合う」とか「特典」とか「例外」とかいう言葉はまったく意味がなくなっていることを納得するまでには、多くの日数を要したのである。手紙を書くというささやかな満足さえ、われわれには与えられていなかった。

P96.97

今回の様に、いつ当たり前に大事な人と会えなくなり、そのまま当たり前に会えなくなることが、どれだけ人にダメージを与えて、不安にさせるかも同じように本の中に感じた。

あと、市役所とか、医療機関の人の対応とかもおんなじ感じだなと。

「どうでしょう、タルーさん、あなたは恋愛のために死ぬことができますか?」
「さあ、どうだか。しかし、どうも死ねないような気がするな、今は」
「そうでしょう。そのくせ、あなたがたは一つの観念のためには死ねるんです。それはありありと目に見えてますよ。ところがです、僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。僕はヒロイズムというものを信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです。僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです」

P244

みんなの中の自分と、自分の人生の自分の感情をどう優先させるか、そういうことも考えさせられた。

事態が悪化するにつれ、自分がどう生きるか考えるところもシンクロした。

ペストはすべての者から、恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛はいくらかの未来を要求するものであり、しかもわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったからである。

P269

自分に家族がいることの安堵感と、そしているからこその恐怖、「自分達」という最小単位を死守した上での友人とのかかわり方とかも。

こういう時、むやみに会わないのも思いやりのある行動でもあったから。

「あなたには人情というものがないんです」と、ある日、彼はいわれたものである。そんなことはない、彼はちゃんとそれをもっていた。それが彼の場合には、生きるように作られた人間たちが死んでいくのを見る、毎日の二十時間をもちこたえるために、役立っていたのである。毎日また同じことを始めるために役立っていたのである。以来、彼はそのためにちょうど十分なだけの人情をもつようになっていたのであった。そんな人情だけで、どうして命を助けることなどできたであろうか?
まことに、彼が日がな一日人々に分かち与えているものは、救済ではなく、知識であった。こんなことは、もちろん、人間の職務といえるものではなかった。しかし、結局、恐怖にさらされた、死者続出のこの民衆のなかで、いったい誰に、人間らしい職務など遂行する余裕が残されていたであろうか? 疲労というものがあったことは、まだしも幸福であった。万一、リウーがもっと生気激刺たる状態にあったら、至る所にあふれたこの死臭は彼を感傷的にしたかもしれなかった。

P280

そしてぐっときたのは医療従事者の心境。

最近、医療従事者への給付金が決まったけど、これは個人的にすごくほっとした。

休んで欲しいし、もっと労って欲しいなと思ってたから。

ペストは一年もたたずに終息を迎える(本格的な措置は半年ほどかな)でも、この間感じた「いつまで続くかわからない」という恐怖が染み出ているからか、読んでいてもすごく長く感じた。

一言で言えない

ペストとのがむしゃらな戦いの中、主人公の医者は、友人と後半に友人としての人間的な関りを持ち、そして信じたくないかなしいクライマックスを迎える。

麻痺していた心にズシンと突き刺さるそれらの現実は、ペストの終焉とともに人々が迎える前向きな解放感の中、ひっそりとたたずんでいてもの悲しい気持ちになった。

明るい未来と、確かに失ったもの。

それの暗影は2020年でも同じように感じる。

ワイドショーで賑わい、もう危機感が薄れている今も、戦っている人や、様々なものを失った人がいる中で。

オトコノ本ノヨミカタ

つぶあんさんはどう読んだのかな~。

【コラボ書評】コロナを生きる今だからこそ読むべき1冊:カミュ『ペスト』

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1986年高知生まれの五黄の寅年、一児の母。 転勤族の妻で今は佐渡島のターン。
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