【インタビュー】森山奈美さんは、民間のまちづくり会社「御祓川」の女社長にどうやってなったんですか?

森山奈美

わたしが能登半島の都市、七尾の駅前大通りで大判やきを焼いていたころ、
川の向こうに大学生が集う会社があった。

イベントの終わりに大学生が寄ってくれたり、
社員さんが大判焼をよく買ってくれ、話をした。
地方で、大学なんてないのに、若い大学生がたくさんおる…?

どうやら、川の向こうにはおもしろい会社があるみたい…。

今回のインタビューはそこの、能登留学のインターンでくる学生たちのお母さんであり、美声クイーン、

そして民間のまちづくり会社御祓川の女社長、
森山奈美さん。    
  

目次

民間のまちづくり会社の女社長になった動機とは?

 
最初のきっかけは、父親たちがやってたマリンシティ運動。
その最初の成果が「能登食祭市場」。        

私が中学生のころ、大人たちが集まって、
七尾のまちづくりに関することをしゃべっているのをそばで見ていました。
身近にそういう環境があって、

新しいことをしていく大人を見ていて
当時ワクワクしたのが興味を持った根源にあります。

なるほど、お父さんの影響が大きいんですね。

 
そう。

で、悔しい気持ちが原動力になったかな。

私はおもしろそう!とかやってみたい!と思ったけど、

それを馬鹿にされたのが悔しかったんやろうね。

馬鹿にされたんですか?

 
『こんな七尾で何したって無理や!』みたいな。
高校時代の、同級生たちの七尾をディスる感じが悔しかってん。

後になってから、

『ああ、奈美ちゃんはこういうことがやりたかってんね』

って解ってもらえるようになったけど。

地方はそういう雰囲気が蔓延していますよね。
「なにしても無理」「ここにはなにもない」って。

どんな経歴?!まちづくり会社女社長になるまで

そんな想いを持ったなみさん、大学では、建築学を専攻されています。

 
わからんかってん。
どこに行って”まちづくり”が学べるかって

今になって考えてみれば、社会科学や政策科学や専門のものもあるけど、
当時理系やったし、そういう道に進んだのよね。

今は選べるものがあっていいですね。

 
逆に道がありすぎて迷ってる感はあるけどね

確かに、学生さんと話すと「迷い」感じます。
その後就職では、都市計画コンサルタントを選択されたんですね。    
   

 
“まちづくり”したいと思ってて。

大学では『都市計画研究室』に入りました。

一つ一つの建物のことを勉強したり、色々学んでいく中で、
都市計画って言いうよりも、それができていくプロセスに惹かれるなと
だんだん気がついて。

ちょうど日本にワークショップとかが入ってきたタイミングだったんです。
当時は横浜が最先端やったから、
それを間近で見ることができるって意味ではいい選択やったね。

たとえば一つの建物を作るにしても、
どう人が関わっているのか、プロセスは?
デザインは?どうやって決まっていくものなのか。

実は、父親たちが能登食祭市場をつくったときもコンサルタントにたのんでたのよね。

京都から人が来てて、
『七尾のことを考えるのになんで京都の人くるがん?』
って思ってたから。

今はそういう視点も必要っていうのもわかるけど笑

専門家がやってきて、計画を作るっていうのなら、
その専門家になれば、
七尾で七尾の人が”まちづくり”できるやんっていう。
そこがスタートかなぁ。

まちづくり会社はまちの建物をどうやってつくるの?

今、奈美さんのまちづくり会社が手掛けた建物が七尾には、
最近できたbanco(市民の大学『御祓川大学』)をはじめいくつかありますよね。

 
そんなには多くないよ。   
御祓川という会社ができてから、いしり亭をやって、そのよこのYOU
そしてしるべ蔵を移設して、次がbancoって感じだから。

私が直接関わった最初の建物はいしり亭なんやけど、
一棟やるのにこんなに大変なんや…ってわかってん。
本当にいっぱいやってるところはすごいなぁと思う。

当時バブルの残り香があって、
ここの区画を全部モールにするって計画もあってんね。

計画は素敵やなっておもったけど、
一個やるのに、こんなに大変やのに、
できっこない…って思った。   
流行っとったからね。区画丸ごと全部やるって。

そのまちを整えていく、未来を見据えながら選択していく大変さって
周り(町の人)にあんまりうまく伝わらなさそうですね。

 
何が大変なんやろうね笑

もともとコンサルをやって専門家になった時に、
計画を立てる人になったんですけど、
「計画」って計画なんですよ

計画を実現するのと、計画をつくるっていうのには
ものすごいギャップがあって、
計画は、「こうあるべき」みたいな
一番美しい姿を作ればいいんですよね。
実際やってみると、計画通りに進まないことのほうが多い。

だからその計画をするというのと、やるっていうのの間に差があって、
PDCAっていうけど、PLANのとおり、DOできずに大体すぐにつまる。

因みに計画を作る段階は周りを巻き込んでやるんですか?
個人である程度形を作るんですか?

 
計画したものを大体作りこんでOKもらうのと、
何もない状態から作っていくというのでやり方が違うんですよね。

以前はある程度きれいな形を作って
「こうすればうまくいきますよ」って言うのが主流だったんだよね。

ところがだんだんそれだと

「同意が得られない」「反対意見が多い」

っていうのが増えてきた。
ビジョンを持つ段階から関わってないから
出てきたものを見て、
すぐ文句いう側にまわっちゃうケースが増えてきた。

ちなみに市民の大学「banco」はどうやってつくったんですか?

    
両方!
絶妙なバランスで作った笑

「まちの人が使うためにどういう機能だったらいいでしょうか? 」
を一緒に考えたり。

うちの会社じゃなくて「学生が作る」っていうところにもウエイトをおいて作った。
町の人と関わって聞いたり、提案を学生が考えて動いてくれた。

市民や学生と、100年後の七尾を考えたときに出てきた案を大事に育てて、
具現化したものがbancoになった。
  

そうやって市民の大学はできた。

くやしい気持ちと地元を思う気持ちが奈美さんを動かしたんですね!
社長になった動機が聞けて、またまちの見方が変わりました。

想いがまちを変えていく。
知れば知るほど、人に愛されて進化していく七尾が好きになります。

【会社概要】
株式会社御祓川
HP→株式会社御祓川
FB→株式会社 御祓川 | Facebook
まち育て、みせ育て、ひと育てを行っている民間のまちづくり会社。
地元のものを取り扱うオンラインショップや、実店舗の出店プロデュース、新商品の開発、能登留学というインターンシップ制度など色々なかたちでまちづくりを行っている。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。 転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。 家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。 2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。
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この記事を書いた人

1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。
転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。
家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。
2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。

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