遠くの(もしくは近くの)悲しい出来事は、現実でありながらフィクションのような感覚でテレビに流れている。
当事者意識を持つことはできないけど、少し心を痛めたり、悲しくなったり、心は揺れる。
悲しい出来事に向き合う時、感情がほとばしるほど当事者意識をもてる人を時に羨ましく思いながら遠くに感じる自分がいる。
何かを感じても、動くほどじゃない…と。
であれば、半端に心を痛めたりせず、一定の距離を置いて傍観する方が良いのかな…なんてもやもやと思っていました。
この本を読むまでは。
裕福な家庭に引き取られた養子が抱える「不幸」「幸福」の間の苦悩
<あらすじ>
「この世界にアイは存在しません。」
入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。
ワイルド曽田アイ。
その言葉は、アイに衝撃を与え、
彼女の胸に居座り続けることになる。
ある「奇跡」が起こるまでは――。「想うこと」で生まれる圧倒的な強さと優しさ――直木賞作家・西加奈子の渾身の「叫び」に心揺さぶられる傑作長編!
感想:★★★★★
丁度知りたかった答えが書いてある本でした。
色んなメディアによって数字化された人の死が流れてくる現代。
日々幸せに暮らす生活と、画面の中で起こっている悲惨な現実。
そことの乖離にもはや、自分はどういうスタンスで向き合えばいいのかわからなくなっていました。
その答えというか、私にすとんと入ってきた一節がありました。
渦中の人しか苦しみを語ってはいけないなんてことはないと思う。もちろん、興味本位や冷やかしで彼らの気持ちを踏みにじるべきではない。絶対に。でも、渦中にいなくても、その人たちのことを思って苦しんでいいと思う。その苦しみが広がって、知らなかった誰かが想像する余地になるんだと思う。渦中の苦しみを。それがどういうことなのか、想像でしかないけど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは心を、想い寄せることだと思う。
P270、271
主人公のアイは、シリア難民の中から養子に選ばれ、不自由ない生活をする一方で、自分が幸せでいることへの違和感と、血のつながりのない家族への複雑な気持ちを持ちながら成長していきます。
アイデンティティが定まらない思春期に聞いた「この世界にアイは存在しません。」という一言は、曖昧な自分にピッタリで、以後、その言葉は呪いの様に彼女に付きまといます。
アイは、ないのか。
友人、家族、自分との向き合い方
特殊なアイデンティティを持ったアイは最初語学に惹かれ、学びを深めます。
ただ、その後「この世界にアイは存在しません。」という言葉をきっかけに、数学にものめりこんでいきます。
のめりこむというのは、逃避にも似ています。
アイの場合は逃避だったのでしょう。
アイは、勉強など得意なことも多いですが、基本的には働くこと、他者とコミュニケーションをとることから逃げています。
成長はしていくけど、彼女の中身は変わらない。
就職せず、大学院に進み、ストレスで太っていくアイを変えたのは、自らに降りかかった不幸の切れ端でした。
不幸の中にいるはずの自分が、やっと不幸の中にいられるようになった
東京での大きな地震。
それは錯覚ですが、彼女の人生が変わった出来事になりました。
シリアの死者数、世界中の悲しい出来事、それらが本当は私だったかもしれないのにという気もちでノートに死者数を書き連ねてきた彼女にやっと来た不幸。
彼女は初めての不幸の実感に安堵しています。
不謹慎だと思うかもしれませんが、当事者意識を持てなかった、それをずっと責めていたアイにとってそれは現実と自分がそうであるべきだという考えを近づける大きな出来事だったのです。
震災をきっかけに、彼女は痩せ、町でデモをしている一行に出会い、その中の一人のカメラマンと恋に落ちます。
ここでも、彼女の人生で求めていたものが手に入ります。
それは家族でした。
「不幸の実感」と「自分の家族」
そして彼女は、「不幸の実感」を得た後、「家族」を得ることになります。
他人の恋人と結婚して、夫婦になり、今度は本当に実感としてほしい、「血のつながり」を求めます。
そこである現実が彼女を襲います。
26歳の彼女は、自分が原因で不妊治療を受けることになりました。
「災害」という不幸がふりかかり、やっと自分の人生に実感が持てるようになったころ、若い自分を襲った「家族」が持てないかもしれない悲劇に彼女は落ち込みます。
人生をかけてほしかった実感は彼女を「アイがない」から「アイはある」と実態のあるものにしたけど、現実はとても残酷でした。
当事者意識のなさがリアル
事件も、事故も、楽しいことも、流れのはやい川の様に流れていく現代。
どのニュースで、どの事実でどれだけ悲しんだり、心を痛めたりしていいのかわからないというアイに私は共感しました。
そのせいで自分を責めている姿勢も(私は自分を責めたりしませんでしたが)。
寄り添う余地を持つ、想うことで心を寄せる。
きっとそれだけでいいはずなのに、具体的な行動をしてる人を見たり、感情豊かにコメントしている人を見て、自分のスタンスを見失ってしまう。
自分の身に起きたことも含めて、現実と向き合うのはとても難しい。
かみ砕くのも、受け入れるのも、流すのも。
それを一冊の本にしてくれている良書でした。
価値観故の当事者意識のなさかなと悩んでいた
https://sakamotodappantyu.com/archives/book-20.html
補足になりますが、これを読む前に、ちょうど「風に舞いあがるビニールシート」を読みました。
この中の国連社員と国際結婚した主人公(女)が悲惨な状態の国にフィールドワークに行ったきりの夫に、結婚を機に子どもや家族のことを考えてほしいといいます。。
その時夫が「今生まれて、目の前で苦しんでいる命をどうにかすることしか考えられない」という風に彼女に言いました。
私は、不幸はわかる、でもそんなにそこに、そんなに思入れできる自信がないし、自分とかなり別人種だなと思うと同時に、自分が冷たい自己中な人間の様にも感じました。
でも、やっぱり理解できない。
それは各々の自分軸の話だから理解しなくてもいいけど、もっともな話にも思えたり、もやもやとしていました。
遠くの不幸と、自分の目の前のそこそこ幸せな生活。
両方事実なのになぁと。
そんな後でこの本を読んだので、自分の動く範囲で感じて、心を寄り添わせていいとかかれていることにすごくしっくり来たのかもしれません。
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