【公務員のお仕事】「誰もやったことがないことをしたい」総務大臣賞受賞、日本一の写真を掲載した広報誌“七尾ごころ”はこの人が作ってた!

公務員仕事

昨年、七尾市に引っ越してきて、”スーパーの鮮魚”と、”広報誌”がきっかけでどんどんこの町を好きになっていった坂本です。

出版社に6年務め、フリーペーパーも大好きで、どこに行っても収集してしまう位フリークなんですが、 このまちの広報誌は、「こんなの初めて!」みたいな特集が毎月来るんです。
そんなわけで市役所に向かい、お話を聞いてきました!

目次

地元民もうなる切り口でファンの多い会報誌「七尾ごころ」


海の中を取材した特集、仲代達矢さんと演劇の連載、消防署24時間密着、100歳以上のご長寿対談、これ全て、七尾市の広報誌、「七尾ごころ」がやっている特集なんです。
ここに引っ越してきて、会報誌の概念が変わりました。

正直、公務員でもこんないいものが出せるのか…と。

そこで直接作っている人に会いに行ってみました!

行政の広報誌は誰が、どうやって考えて作っているのか

これ、何人くらいで作っているんですか?

広報課の私、高木が特集を、清水が毎月の定期情報を、毎月2人で担当しています。

え?!2人で作ってるんですか?! 民間の業者さんは入ってないんですか?

広報誌の特集は写真も、文章も取材も全て私1人でやっています。

本当は民間さんに発信メディアを作ることはお願いしたいんです。

地方はご存知の通り、どんどんこれから人口も減っていくので役所の職員や役割も減っていくと思うので…。

実は2年前に民間の業者さんにかけあったことがあるんです。

でも、「とてもじゃないけど、金銭的にも時間的にも受けられない」とのことだったので、自分たちがやるしかないと。

せっかくなので利益度外視という、公務員特有の利点を生かして、気になったことを掘り起こすことや、地域密着の取材もやっていこうと思いまして。  

どうやって特集を考えているんですか?

仕事以外では、世間話で色々と情報収集しています。

地域活動が好きで、町会や野球、公民館など人との出会いが色々ある中や、飲みにケーション中に気づいたことをメモしたり、仕入れてきています。

個人的な興味をもったこと、好きなものをピックアップして、そのなかで市民も興味あるだろうと、そういうものをとりあえずあげていきます。

で、やりたいことが出てくる。
そんな感じですね。

自分の直観+市民の目を意識して「読んでみよう」と新しい気づきになる紙面を目指す

私の持っていた広報誌のイメージは事務的な情報や市長のコメントがメインで、少し季節もの写真や、イラストが入っている位でした。
この真新しい視点の1つ1つの企画はどういう風に生まれ、組まれて行くのですか?
 

僕は誰もがやったことないことを記事にしたいなと思ってやっています。

例えばこの8月号。これはフェイスブックで繋がりのあるダイバーの友人が、「七尾って海がきれいだよ」って言ってくれた一言から始まりました
住んでいても、七尾の海に潜ってみようとか、きれいだという感覚がない。
それが自分だけの感覚じゃないか確かめるために、市民100名に聞いて、自分の感覚だけでないことを確認しました。

七尾市民は七尾の海にはほとんど入らないんです。夏も他の浜に行ってしまう。
取材することでだんだん疑問がわいてきました。自分が知らなかったことが多かったので、聞くばかりじゃなく、自分も潜ってみました
この時は、3万円お金かけて、ダイビングリゾートに頼んで、自費でもぐりました。

 

え?自費ですか?

はい。出ないですから。
この特集の一部は季節ものもあるので写真を提供してもらっています。

行政の枠を超えたものを作っているなぁと思っていたのですが、まさか自費で…びっくりしました。

うちは印刷費しか予算がないんですよ。
なので、取材時、例えば東京でこちらの神輿が出るときは、市民もどんな活躍をしたか知りたいだろうし、「写真とか必要でしょう」と、神輿を出す地区に交渉して、旅費を取材用として出してもらうことになって行ってきました。

本当はもっと会いにに行きたい人もいるんです。上にはうえがいるので。
そうツワモノに会いに行くことで刺激になるので、東京や静岡には自主的に(自費で)行ってました。

目を引く特集が多い「七尾ごころ」の市役所内や市民の反響は?

評価や批判はありますか。

他ではやってないことを市の情報誌でやっているので、特集によっては批判をされるんです。「市のお知らせだけでいいじゃないか」とも言われるんですけど、そうじゃないと。

手に取ってもらって開いてもらって初めて市のお知らせも見ていただける。

大体24Pで作っているので、勢いある特集で興味をもってもらい、最後まで見てもらえるように気合いを入れてやっています。

自分が住む町の危機感を共有したくて、あえて新年の号で挑戦したこと

思い入れのある特集はありますか?

人口が減っていく特集を前々からしたかったんです。

これ、人口減少を目の当たりにする暗い特集なんです。でもあえて1月号にぶつけました。

普通は新年あけましてで市長の挨拶、初日の出が基本なんですけどそうじゃなくて、全国から子供や家族が帰ってきたときに手にとってもらって「七尾って今こんなにひどいの?」という気づいてもらいたくて、組んだ特集なんです。

なので「1月になんでこの特集なんだ」という声もありました。

最初悲惨な現状紹介から始まって、季節によって同じ場所で写真を撮影し、能登の世界農業遺産のイメージを伝えたり、

市の歴史などを紹介しつつ…あ、僕のこだわりとしては全ての号でできるだけ市民をたくさん紹介したいと思っています。

光の当たらない人を掘り起こして掲載したい。

そうして七尾に興味を持ってもらう。

このページで紹介した人は、新聞など大手メディアで上がってこない人たち、外国かから来た人で七尾に住んでいる人、たまたま七尾で後輩を集めて担ぎに行った日本橋の祭りで会った人達で、七尾に帰って来て今年から働く若い人。

そんな感じで普段光のあたらない人だけど、聞いてみたらおもしろく、素晴らしいことをしている人、気になる人を見つけたらすぐに取材のお願いをします。

そうやって偶然の出会いや葛藤の中、「七尾ごころ」が生まれていくんですね。!

この特集(密着取材!消防24時!)に関しても、 合併して、(消防の方たちが)市の職員になったので、最初は広報誌の中に私たち同僚をのせるのはどうかとおもったんです

でも地域になくてはならない仕事をしている人たちだよなと。

24時間どう仕事をしているか、知りたいこともたくさんあったし、市民にもどんなことをしているのか知ってほしかった。

なので朝八時半から出勤し、八時半まで密着して取材をしました。

同じ市の職員の同僚がこんな仕事しているって知らなかったので私たちも勉強になりました。

 
実際密着して、救急の電話がかかってきたら何分で出れるの?
と思っていたら、2分くらいで出ていく。

本当にすごいから、それを伝えたいと思って力が入りました。

このページは、親と子の会話のきっかけになって欲しいなと思って考えました。

車両図鑑で子供たちに手をとってもらい、親子で自分たちの町の消防署に関して話してもらいたいなと。

実際、消防署に「見学ができるかどうか」と問い合わせがあったりして、狙い通りな部分もありました。

後、消防車などの金額は情報公開されてるものなので、一覧にしてみました。

自分の興味もありましたし。

広報誌では異例!?俳優さんの載った連載物をやる


バックナンバーをあさっていて、表紙に俳優の仲代達矢さんが出ていらっしゃってびっくりしました。

どういうきっかけでこの特集組まれたんですか? 

2013年12月号のこの特集、実は連載の完結編なんです。

9月、10月に七尾市の能登演劇堂でロングラン公演があってそのまとめとして12月号を出しました。

公演に向けて、2013年6、7、8月号では演劇堂と仲代さんとの関係、無名塾のことなど基礎情報を知ってもらいたくて、3号連載をしました。

小説風なもの織り交ぜながら読ませて七尾市民に演劇への興味を持ってもらい、市民にもっと劇場に足を運んでもらうことを目的として作った特集です。

中島の演劇堂は30年前から仲代達矢さんと交流があるけど、それを知らなかった。

そもそも、なんであんな田舎に演劇堂があるのかその疑問から始まった特集です。
興味を持った後、仲代さんがたまたま金沢にいらっしゃるときに、30分だけ時間をいただき、お話を聞きましたが、 とても緊張しました。

写真、内容、絶対プロ入れていると思いました。

仲代さんにお願いをして、このページでは市民に向けた直筆で書いてもらいました。

実は、ここまで出すのに調べることも入れて取材期間が1年1カ月かかっているんです。

で、3号連載。

広報で連載はありえないんです。すごく怒られもしました。

1ページがいくらかかっているんだとも言われましたので、不足分を演劇堂の方で一部補助してもらって、その助けのおかげでなんとかできた特集なんです。

実際この年、連載をやってみて、来場する市民の方がすごく増えたそうです。

企画は大変でしたが、これにかけてたもんですから嬉しかったですね。

 

数々の賞を受賞したちょっと変わった会報誌「七尾ごころ」

去年、今年と、写真でいくつか賞を受賞されていますよね。

はい。きっかけは、敬老の日に向けて100歳以上の方の元気な方を集めて座談会をしてみようと思いまして。 

でも、特集のために事前取材で、8月の真夏にお願いすることになったんです。

こんな暑い時期だからもしものことがあったらってことでほとんど断られていったんですけど、6人いて、2人からOKをいただいて取材に挑めました。

この特集の写真で日本一の賞をいただけたんです。

総務大臣賞ですよね。
読売新聞賞も受賞されてなかったですっけ?

日本広報協会のコンクールの一枚写真の中で総務大臣賞、一枚写真の中で日本一の賞をいただきました。読売新聞賞という庶民的なものとか日常的なものの題材を称してくれる賞も一緒に。
両方評価いただけたことはとても光栄でした。

その他、石川県広報コンクールでは最優秀賞をいただきました。全国では。「金使ってるんじゃないか、業者入れてるだろう」ということで評価されなかったんです。

けど広報誌はコンクールのためではないので、仲代さんを表紙に入れさせてもらいました。

コンクールは市民に伝えるという使命の結果の延長のものなので。

市民にも、県外の人にも知ってほしい。


去年からアプリでも配信されましたね。

どういう狙いがあって始められたんですか。


アプリ
は今年の1月~。

始めたのは、ここ七尾市が故郷だけど都会ですんでいる人に見てほしかったんです。

今の時代、情報を得るのが紙からの人もいれば、スマホから見る人もいるので、色々な媒体で提供したいと思いました。
いろんな人に見てもらいたいですね
去年4月~の広報誌も、市役所のホームページから見ることができるので是非見てみてください。 

これから七尾市民の人に広報誌を通してここに気付いてほしいとか、求めていることは ありますか?

個人的主観になるのですが、まず、広報はコミュニティの一つのツールと思っています。
市や人の取り組みを紹介することによって、何かを感じて、一歩踏み出すきっかけになり、市民に動いてほしいと願いながら作っています。

都会化していく中で、田舎の大事だった繋がりが薄れていく。同じ町の人々が何をしているかわからなくなってしまった。向こう三軒両隣の関係が、広報誌きっかけで再度繋がっていってほしいですね。

デザイン、写真もクオリティが高いですが、高木さんはもともと、民間で働いていたり、本や雑誌が好きだったんですか?

いえ、5年前広報課に来るまでは、本も雑誌も読まない男でした。
写真も全部撮ってますが、広報課に来てから初めて一眼レフを持ちました。 勉強する時以外今でも雑誌も読まないですね。
読むと型が決まってしまって色々なアイデアが出てこないかなと思っているので。

え…


自分、プロじゃないんで
。笑
デザインはある程度希望を伝えて、印刷会社のデザイナーさんに一回形を作ってもらって、細かい直しをこちらで行っています。あと、ズレがないように、編集会議を月一回会ってやっています。 

このクオリティで…びっくりです。 


誰でもできるんですよ、これ本当は。

本当は一歩踏み出そうとするか、やるかやらないかだけのはなしなんですよね。やるチャンスはあっても気づきがないとか、やらないというところで差が出るだけです。

何が解らないかも解らなかったら、疑問も生まれない。

一歩踏み込んで市民の方が知りたいんじゃないか?という気づきがあるかないかですね。

その疑問を自分で見つけ出さないといけない仕事ではあります。

もう来週人事発表なんですよ。いつまでも広報にいるわけじゃないんで。

一年一年が勝負なんです。
だから、プロはいないんですよ、この職場。

え?!そうか、そんな時期ですねそういえば…

市役所はみんなこれからだ!って言うところから新しい部署に変わっていくので。

それに入れ替わりもいいことだと思うんです。若い人達が来たほうがいろんなこと知ることできるし、見ることできるし、いろんな人と会うチャンスがあるし。

そういうのを生かすもの殺すも自分次第なので、市役所の職員の人生として広報課は、キーになる部署だと思います。

5年やってきても、苦情よりありがとうと言われることが多い。

広報は市役所の仕事らしくない仕事かもしれませんね。

本当は、民間さんにやってほしい仕事なんですけど。 笑

実際民間で0からやるのは難しそうですね。

ここの人たちは信用を得るまでに時間がかかるんですよ。ここの地域は都会と違う。人と人とのつながりでどうにでもできる。繋がったら、都会よりもすごいことができる。

すごく、いい意味で厚かましいひとばっかりです

ただ、心をつかむまでは時間がかかると思うんです。

  今も面白そうな特集を市役所のフェイスブックページにあげてらっしゃいますよね!楽しみなんです。

今は地元の漁師に密着しています。朝早くてハードな取材だから、この前部下が「明日勘忍して下さい」とかいうんですよ。これが、ゆとり教育なのかとびっくりしました。笑

そりゃ、市役所の広報課って、公務員って、こんなに寝ないんだ!って思いますよね。笑
(部下の清水さん苦笑い)

確かに僕は帰るのも遅いし、取材によってはほとんど寝てない時もありますね。

もし人事異動があって部下や新しい人が来ても、自分がやってきたものを継承していくのではなくて、新しいものを作る人のその人のカラーが出た広報誌を作ってくれればいいなと思っています。

また来月号&これからも楽しみにしています。色々なお話ありがとうございました!!!

…すごくパワフルな人でこの人からこのワクワクする広報誌ができているのか!作る人の温度が高いからこちらもドキドキするんだ!ととても納得&尊敬したインタビューでした。
ああ、地方の本気の人は面白いっ!!

(紙面の出典、写真、全て七尾ごころより) 

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1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。 転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。 家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。 2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。
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この記事を書いた人

1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。
転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。
家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。
2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。

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