【妊娠回想日記~三ヶ月目~】悪阻本格化、トイレが友達の終わらない二日酔い状態の中12連勤が始まり、弱音を吐いて若女将に叱られる

お腹がすごく大きくなるわけでもない。

検診も月に一回。

実感がそんなにないまま三ヶ月目。

悪阻が威力を増してきました。

吐く→おなか減ると気持ち悪くて食べる→吐く→体力消耗

目次

旦那と分かり合えない体の変化

船酔いのプロ=旦那「吐き気するなら、食べなければいいのに…吐くのもしんどいでしょ」

泣!胃が空だと辛いのでなんか口に入れないとだめなんですぅ…

二日酔いみたいに最悪次の日の夕方に治ることのない、吐き気との本気の戦いが始まりました。

旦那のいうことは正論なんですが、

自分でも理解不能な体の変化と、何が食べたいかわからない上に、

すっごい食にわがままな友達と同棲始めたみたいな感じで、

何を選んだらいいか正解が解らず、食べ物難民状態なうえ、

終わらない二日酔い…

食べては吐き、食べては吐きして、体力を消耗する私に旦那はどう声をかけていいかわからなそう…

旦那「大丈夫?大丈夫じゃないよね」オロオロ

という感じだったので、

とりあえず買った妊婦漫画とたまひよの父の心得みたいなのを「これ読んでおいて」と渡して、

坂本「とりあえず、『無理しないでね』『大丈夫だよ』を思ってなくても言うて!あとは別にかまんき」

とお願いしました。

そして…

旅館劇的な繁忙期直前の忘年会幹事&結婚の挨拶に山梨のおばあちゃんちへの旅に行く休みが取れてしまった!!

ガチな悪阻スタート&旅行


二日酔いばりにトイレに行くことが増えたこの時期。
旦那ご両親と車で山梨に行くことに。

かばんには飲み物と梅系グッズ、キタロウ袋を常備。

「肝心なのは心よ、心」

自分に言い聞かせる。

旦那「無理しないでね」

坂本「…イケる気がする…」

こまめにトイレで吐きながらも、波があり、なんとか旅を楽しめる感じ。
てか、普通に楽しみました。

超距離ドライブは少ししんどかったですが、
健康的な食事&優しいご両親の気遣い(このころは伝えてなかった)
で旦那おばあちゃんに挨拶できてよかった~

時間なくてよかった~富士急ハイランドとか行きゆう場合じゃなかった~笑

見ての通り、ダメージケア全然してませんでしたが、この頃はまだ髪が長かったです。

忘年会を期に唐揚げが無理に!
超ド級の悪阻が襲う中、12連勤が始まる

今回の~繁忙期の~連勤はぁ~

12日!うひょひょひょひょ!!!

…大丈夫かな…心を強く、持って…

以前は、後半リポDとかを飲みながら過ごしていた繁忙期の連勤。

今回はそういうのにも頼るわけにいかない(カフェインが多く含まれるっぽい)。

波はあるものの、吐き気でトイレが見えないと不安。

正直、もちつきをしていた&年末年始限定のお品書きを一心不乱にやっていた以外の記憶がほとんどありません。

お正月に来るのはVIPやお得意様が多いので気を張っていたのも覚えています。

食事も唐揚げを大量に用意した忘年会以降、からあげの匂いがダメで、

がっついて食べていたお弁当には大体揚げ物が入っているので、

弁当自体もたべられなくなって、

お茶漬け&お茶漬け&お茶漬けの日々。

「少しやせた?」

っていわれるくらい少しやつれました。

連勤明けの検診で、

「そうだ~母子手帳を取りに行ってね~」

とさらっとお医者さんに言わました。

BOSHI手帳!?あれか!お母さんがもっちゅうやつか!!!


なんかかわいい手帳を渡される。

いろんな資料をもらったけど、妊娠初期ってあてはまることも少ないのでさーっとみてファイルにイン。

それより仕事が不安で仕方なかった。

連勤で心が折れて、体調不良でいつも自分ができる仕事ができなくなっているのもつらくて、

とうとう直属の上司、若女将に相談することに。

仕事への不安と覚悟のなさ

若女将に「おめでとう」と言われるも、
びっくりも混ざっていて(そりゃあそうだ)、

とりあえずまだあまり周りに告げてない段階で、
話をして一番喜んでくれて、
祝福してくれたのが若女将でした。

うれしくて、その晩、旦那にその話をしたと思う。

良いことだからと喜んでくれましたが、
情緒不安定で、根本にあった、

「このまま働けるか不安」

が消えなくて、情けないことに、
次の日また若女将を呼んで口に出してしまいました。

しかも転勤がどうなるかもまだわからない段階。

転勤ありきで正社員という優遇してくれた状態で雇ってくれたにも関わらず、
このタイミングでの妊娠。

「自分で決めて妊娠して、働いてるんでしょ!しっかりしなさい!!」

話しながらボロ泣きし、自分の覚悟のなさと情けなさに気づきました。

若女将は悪阻がひどくて入院までしたレベル。

私はこのとき、体調の変化から「自分が自分の思い通りにいかないこと」に大きなストレスを感じ、
自信を完全に失っていました。

若女将の言葉で、

「子どもを
産み、育てる」という覚悟が全くできてない
ことに気づき、

恥ずかしい&しっかりしなきゃと思い、気持ちを立て直せました。

職場のかかわる上司&総務の方たちに妊娠を報告したのも、

「仕事を円滑に、混乱させないため」に必要だったし、

「妊娠」が私だけの問題じゃなく、
会社へかける負担もあるということを認識させてくれる機会になりました。

漠然とコドモほし~とか言う割には
覚悟が全然できてなくて、
すぐにへこたれて、凄く情けない。

自分だけの問題じゃないという意識を持ててない、本当に情けないな、と気づいたのが三ヶ月目でした。

あまかった~。



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1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。 転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。 家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。 2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。
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この記事を書いた人

1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。
転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。
家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。
2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。

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