家族と家族と家族

82歳のおばあちゃんにLINEでの写真の送り方を孫が教える。

そしてひ孫の動画をシェアしたり、テレビ電話をしたり、フォトブックを贈る。

別れの時、一日数時間寝かしつけのために4キロの娘を抱いてくれてたおばあちゃんは、寂しいと泣いていた。

簡単に触れられたのに、今は約900キロの距離が隔たっている。

少し前まで、私は、二度目の里帰り出産で4ヶ月地元の高知にいた。

臨月妊婦が陣痛をお催し、出産、子育てのリズムができるまで、実家には子育てをかなり手伝ってもらった。

そして私と子どもたちは、旦那の待つ自宅に帰ってきた。

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家族と家族と家族と

18歳で家を出て、なんやかんやあって、29歳で結婚して新しい家族をつくった。

私は足掛け3つの家族に属している。

実家、義実家、自分の家。

実家では自信家で独裁者だった私は、

さかもと
離れても家族は私のことが大好きだからさ

と思っていた。

でも、嫁いで実家に帰らない年もあり、家族LINEも既読無視とか普通で、

さかもと
なるほど、離れるとまあ、普通にこんなに距離ができるものか

と思うようになっていた。

特にうちの家族はおのおのの趣味や人生に忙しい。

もちろんその家族の一員だった私もそんなタイプだからちょっと寂しいなとかおもいつつも、まあ、嫁ぐってこういうことかくらいに思っていた。

帰れば居場所がないわけでもないし、家族関係が悪いわけではない。

でも、自分と家族が嫌でも絡まっていたあの頃の距離感はもうなくなったんだなと、遠くの佐渡で思った。

新しい家族

結婚も、子どもができたことも運がよかったが、私にとってもっとも運がよかったのは、義実家もいい人たちだったことだ。

もう、ラッキーとしか言いようがない。

そりゃ、いい嫁ではないから色々思うところはあるかもしれない。

でもそれは自分の実家に来た嫁を見て話している私や母親をみればそんなもんだと思う。

むしろ旦那に女兄弟がいなかったのは、ただただラッキーだと思った。

私みたいに口を出してきて偉そうな小姑がいないだけで本当に幸せ

子どもができて、初孫だったのもあり、子どもが義実家との距離を更に近づけてくれた。

仕事にも理解があり、助けてくれる。

それを上手く橋渡ししてくれる旦那にも頭があがらない。

というわけで、自分のつくった家族はてんてこ舞いだが義実家との関係もできていった。

信じられないことに、いつの間にか実家の方が義両親より遠いんじゃないかなとすら思うようになっていた。

里帰り出産でまた家族が濃くなった

今は、里帰りと言っても両親が働いているから、そんなに頼れないのが現実だと思う。

うちもそんな感じだった。

実家には弟夫婦の家族もいる。

でも、運がいいことに、帰ったら広いおばあちゃんちがあった。

ずっと賃貸暮らしだったおばあちゃんの終の棲家をお母さんとおばあちゃんが探していたとき、お父さんが、

「お母さんの実家にしいや」

と買ってくれ、リフォームをしたのだった。

偶然だが、私が里帰りする少し前にリフォームも終わって、里帰りできる環境がポッとできた。

おばあちゃんが元気なこともあって、第一子をそこでお世話になって産んだ。

おばあちゃんが若返り、元気も出て、ひ孫を溺愛してくれたおかげで、二度目の里帰りもできた。

家族を繋げるのは生活と時間

二度目の里帰りは、パワー有り余る2歳児を連れてで、不安だったが、偶然弟も同居しており、色々フォローしてくれたおかげで成り立った。

近くに通える保育園もあり、いろいろ重なって叶った里帰りだった。

生活を共にし、いろんな話をした。

おばあちゃんの人生、お母さんの人生、弟の人生、ずーっと近くにいたのに、知らなかったことがたくさんあった。

ちょっと、盆暮れ正月にちょっと帰る位では、味わえない濃さを4ヶ月の里帰りは叶えてくれた。

自分の目の前の子どもでいっぱいいっぱいになったけど、将来、立場を変えて自分もこんな体験をするかもしれないと思うと、家族っていいなと思える時間だった。

しんどーいって毎日言ってしまうけど、私もあんな時間を持つために、家族をがんばっていこうと思う。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、一児の母。 転勤族の妻で今は佐渡島のターン。
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