里帰り出産をふりかえると、わたしは子どもがえりしていた

緩やかに温度が下がって、雲が遠くなる秋、平穏な人三暮らしが始まりました。

初めての出産、しかも800キロも南下した里帰り出産を終え、

振り返ると思うことがたくさんあります。

目次

両親に不満だらけの里帰り出産

帰る前にもめ、帰ってからも別件でもめ、産んでからも延長戦のごとくもめ…

【参考記事】

結局産むまで住んでいた80歳のおばあちゃんちに引き続きお世話になることに。

産前、産後はとにかく両親に対してピリピリしていて、

一つ気に入らなければそれをずっと気にして、

関わってくれてもつれなくしたり、冷たくしたり、

スルーしたり、親の気持ちを考えず、

自分の意見が通らないことにいちいち激怒していました。

結果、気持ちの問題もあり、

家の間取りや手伝ってくれる環境もおばあちゃんの家に行きました。

結果、おばあちゃんもひ孫をかわいがってくれたし、

両親も週に一度ほど会いに来てくれたり、買い物を手伝ってくれたり良い距離感で過ごせました。

ふりかえると、自我が異常爆発していた

ぶつかった原因はいくつかありました。

●親のペースで関わられること

「連絡一本でも入れて」

とお願いしていましたが、ゲリラ訪問ばかりで、

友人が来ることやこちらが出かけることにはおかまいなし。

それにいちいち怒ってました。

今思うと、

母は働きながらそのなかで私を手伝おうとしてくれていました。

決して時間的に余裕があるわけでもなく、

その中でわたしにしてあげたいと思うことが母なりにあり、

関わってくれていました。

●兄弟の関わり方でもめた

弟のことで家庭内でもめ、

散々相談された挙句、

「坂本家のことやから」

で蚊帳の外で完結されたこと。

実家にいるときは、家族によく相談され、

問題は個々に話して色々と解決しようと関わってきたので、

わたしを挟まずに解決したからと結果だけ報告されたことにカチンと来ました。

また、その解決法が、両親が弟を甘やかしていると思い、

わたしの中の「それは間違っている!」が炸裂して、

「子離れできてない!」と両親にキレちらかしていました。

息子が産まれて少し冷静になれば、

こどもが困っていたらどうにかしてあげたいのが親だというのもわかるし、

親を自分の思い通りにしようとしていた自分はわがままなこどもそのものだなと思います。

姉ではあるけど、親ではないし。

まあ、とはいえどうなるかわかりませんが、

多分わたしは身内には厳しいので、

親みたいな甘やかし方はしないけど、

それはそれで「わたしの家族」の話しになるので、

そこで好きなようにしたらいいよな、と離れた今は思います。

いいことは学び、いやだったことは反面教師にする。

嫁に出た今、そういう関わり方でいいんだなと帰ってくると改めて思いました。

物理的距離も大事。

●わたしのことをいちばんに考えてほしかった

これこそ、こどもがえりですよね笑

初めての出産で、自分の身体が変わりすぎて思い通りにならなくて不安がいっぱいでした。

「こういう時くらい、わたしを優先してくれてもいいんじゃない?」

「せっかく帰ってきたのに」

そういう思いがあったので、少しのことも許せず、怒ってピリピリしていました。

親だから、こどものことを優先するのはあたりまえ。

親だから、助けてくれるのはあたりまえ。

社会人になってだいぶできていた「求めない」ということが今回親にはできず、

「あたりまえ」を振りかざしていました。

「ありがとう」の反対は「あたりまえ」
責任、の反対は無責任を通り越して被害者

という言葉を、産後、尊敬している先輩にかけてもらいました。

産後の不満は主に女性から「わかるわ」と共感いただく部分が多くて、

自分も、「みんなそうなんだ」と思って思考停止してたんですが、

この言葉を先輩にかけてもらって、

「ああ」

と自分にがっかりしたのと、少し冷静に自分を見るためのスイッチが入りました。

人生の節目節目で、人生のメンターと思える人や尊敬する人がわたしにはいて幸せやな…。

母親になったことやし、しっかりしよう、とこの時に初めて思ったかもしれません。

機会があれば、里帰り出産はまたする?

します。

ホルモンバランスや、初めての不安も多々あったわけですが、

産前一ヶ月と産後一カ月は全く感謝をもてず、

思いやりに塩をまくように接していた私ですが、

七尾に帰る一カ月前くらいは、

普通に色々できるようになり、余裕が生まれたのと、

先輩がかけてくれた言葉のおかげで、親にできるだけ、

「ありがとう」

を伝えることができました。

80歳のおばあちゃんが想像以上にひ孫をかわいがってくれて、

「早く、次つくってもかまんきね」

とひばあちゃん本能があふれていたので、


わたしも初めてじゃないし、

またおばあちゃんとの生活ができたらいいなと思っているので、

両親とおばあちゃんに上手に頼りながら、里帰りがしたいです。

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プロフィール

高知出身の1986年生まれ(五黄の虎)

18歳で脱藩、京都、金沢、富山高岡、能登半島住の転勤族。北陸か高知に大体おります。いつの間にか本籍は新潟県佐渡島に。一児の母。

元肉食系広告代理店勤務だったので、恋愛やお店のPRに関してのアドバイスが得意。

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1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。 転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。 家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。 2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。
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この記事を書いた人

1986年高知生まれの五黄の寅年、3児の母。
転勤族の妻でうっかり新潟で家を買って辞令を震えながら待つ身。
家買ったら転勤のジンクスに負け、両親、義両親に続き旦那が本州から離脱。
2023年4月から「絶対に倒れてはいけない3人ワンオペママ」ライフがスタート。鼻血。

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